生前整理に終活「できる人」と「できない人」がいる理由とその違いとは

高齢化社会が生み出した新しい片づけスタイル

一時期、いらないものは全て処分してしまうことが心もすっきりしてしまう方法だとして、「断捨離」という行為が多くの人によって行われました。確かにこれですっきりしたという声があった一方で、残しておけば良かったと思うものまで捨ててしまったという声もあったことは事実です。

これまでの人生で得てきた持ち物の中には、買い替えできるものもあればできないものもあります。勢いに任せて処分してしまうと後悔することもあるという、反面教師となったとも言えます。一方、高齢化社会が生み出した新しい片づけスタイルに「生前整理」があります。

「終活」という活動と結びつけて考えられることが多く、端的に言えば自分が亡くなった後に残されることになるであろう持ち物を、自分で整理しておくという作業です。人は、「いつかは必要になるかもしれない」と思っていろいろなものを残しておきがちですが、もう人生を終えると考えて行う生前整理においては、断捨離よりもはるかに捨ててしまってもいい持ち物の数の度合いが高くなるのは確かです。

とはいうものの、実際に生前整理ができる人もいれば、できない人もいます。このできる人とできない人がいる理由とその違いは、一体どこから来るのでしょうか。

自分が先に逝くと思っている人はできない

配偶者がいたり、子供と一緒に暮らしている人は、もし自分が亡くなってもその後のことは配偶者や子供がやってくれるから、自分で持ち物の整理をするなどということはしなくていいと考えて、生前整理を行わないタイプに該当します。妻と夫との割合で考えると、圧倒的に夫に多く、その理由としては持ち物を片づけようにも、何がどこに入っているのか、自分がどんなものを持っているのかをよく把握していないということも、しばしばあるからです。

さらにお葬式の準備を、特定の葬儀社に前金で振り込んで入会しておくといったことも妻に任せきりだとしたら、自分では何も分からないという夫は多くいます。仕事はバリバリやってきたけれど家のことは無頓着だったという夫は、生前整理をしようと思ったとしても何をどうすればいいかがよく分からないことから、ほとんどうまくいきません。ただ、終活のが全てがだめかというと、そうともいえないのです。

終活においては、身の回りのものを自分で片づけていく生前整理だけでなく、自分の財産をどのように家族に残すかという、遺産相続のことを考える必要があります。家庭において最も多くの財産を持っているのは夫というケースが非常に多い日本という社会の実態を考えると、持ち物の処分は妻や子供に任せ、自分は大きな財産をどのように遺産相続させて、家族が遺産で争わないようにしておくかが、最も重要な役目と言えそうです。

そのためには、動産・不動産の状況をしっかりと把握し、妻と子という法定相続人以外に相続させたい人がいる場合や、特に遺言で残しておきたいことがある場合、公正証書遺言を作成しておくといった具合に、終活の一部だけをやっておくというだけでも、かなり違ってくるでしょう。

本格的に生前整理と終活ができる人

生前整理ができるのは、先に配偶者を送り、その遺品整理が大変だったという経験を持つ人が大半です。
自分が配偶者の持ち物の整理で大変な思いをしたから、自分の遺品を整理することになる子供には迷惑をかけないようにという思いから、自分で整理することができるわけです。また、女性のほうがどちらかというと長生きしますので、これまで家族の洋服などを片づけてきた経緯から、何をどこに片づけているかをちゃんと把握しています。
そのため、いるものといらないものを分けることがきちんとできるところが大きな違いです。実際に葬儀を経験してその大変さを知っている人ほど、何を知らせておくべきかのポイントを押さえた終活ができるといえるでしょう。子供の世帯と一緒に暮らしていないのなら、何がどこにあって、自分亡き後どうして欲しいかを明確に記したエンディングノートは大いに役立つと考えられます。

まとめ

生前整理にしても終活にしても、意識の違いができるかできないかを分ける理由になるといえます。誰かがやってくれると思えば、自分が死んだ後のことを考えて持ち物を整理するのは、やはり気が滅入るでしょう。その後片付けをしてくれるのが配偶者だとしたら、ちゃんとやってくれるだろうという甘えの気持ちもあります。

その点、自分が亡くなった後、子供に迷惑をかけるとなるとしっかりと自分でやっておかなければという意識に変わります。頼れる人がいる人といない人でも、終活や生前整理ができるかできないかは大きく変わってくるでしょう。子供が頼りにならないというわけではなく、迷惑をかけたくないという気持ちから自分で気付にしておきたいという思いが芽生え、終活をしなければという気持ちを後押ししているといえそうです。